Please told me

昇華できなかった戯言

桃の缶詰

年末は風邪をひいて過ごした。仕事も小説も全て手に付かず本当にたくさんの人に迷惑を掛けてしまっていつも年末年始は体調を崩しているのでもっと自己管理をしっかりしなければなと熱でぼんやりする頭で考えながら眠っているとYは年末進行で忙しい中ちょくちょく様子を見に来ては何かほしいものはないかと心配してくれたけれど私は首を横に振るばかりでますます心配を掛けてしまいもっと気遣いもできるようにならないとな、と反省ばかりしながら過ごす年末だった。
大晦日前日にやっと起き出し大掃除や買い出しをし、年を納めたが未だ今年が来ているという実感が湧かない。Yも私も昨日出掛けた時ポストの中を見ていないのだ。子供の頃は郵便局のバイクが来るのを今か今かと楽しみに待っていたのが、いつの間にか来るのは仕事関係の年賀状ばかりになったからだろうか見るのが億劫ですらある。年を越す瞬間まで起きていたくてもリビングのソファで眠ってしまったり紅白を観ながら演歌を真似て歌い祖父母を喜ばせたりおせちが苦手で栗きんとんと海老とお雑煮しか食べなかったり親戚宅へ挨拶回りに行き我が家では禁止されていた甘い駄菓子をもらうのが楽しみだったり馴染みの灯油売りのおじさんがこっそりお年玉だと500円玉を握らせてくれたのに秘密でお金をもらうなどすこし悪い事をしている気がしてドキドキしていたり両親がニューイヤーコンサートを観るので特番が観られずつまらなかったあの楽しいお正月はいつの間にか亡くなってしまい、ただの1日となってしまったのだ
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金のたてがみ

SSはライオンのような人だった。長く綺麗な陽に透けるたてがみのような黄金色の髪、しなやかで無駄がない筋肉のついた肉体、強さを誇示するように美しい獣の毛皮や革を着ておりその見目はとても華がありよく喧嘩をし、負けるのを見た事がなかった。私達の絶対の王様でカリスマ性があり粗暴なのに人からよく好かれた。マーキングのように強い香水をつけそんなに雄弁な方ではなかったがSSが何かを話し出すとすべての人がそれに聞き入った。人を見下すような鋭くて常に獲物を狙うように光っていた目がとても綺麗でカラーコンタクトなんてしない方がいいのにと終始思っていたものだ。
私は他者をライオンのようだと表現する事は今後小説の中か仕事でない限りしないだろう。したくないのではなく、私の中にあるライオンのイメージはSSでしかなく、その強さや美しさ、カリスマ性すべてでSSのような人と未だ出会った事がないのだ。思い出だからというのもあるだろうけれどその神々しさと言っても過言ではないものを超えられる人はいない。私の中には永遠にSSという凶暴で美しい獣が眠っている。あの豪奢な墓石の下ではない。SSとおなじ香水を街で感じ取ればその獣が熱を持ち咆哮する。今でもひとつひとつ思い出せる身体中の黥をどうして焼いてしまったのだろうか。すべて残しておけなかったのは何故なのだろう。たてがみのような髪は残しておけたのではないか。そんな事を考えた時もあったけれどそれはサバンナの自然の摂理と同じで生きる事という闘いに負けたものはすべて土に還り消え去るのだ。ただひとつ、ライオンと違うのはもうどこにも同じ美しい姿がいないという事実だけで、SSは絶滅したケープライオンやカスピトラ、ニホンオオカミドードー鳥と同じなのだ。そんな動物達の最後の一頭を殺したのは誰だったのだろうか。それは私のような気がする
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目元の笑い皺

音楽が好きだ。歌うのも、聴くのも。夏には大きなフェスに行くしライブも体調が良い時には行く。そんな中で忘れられない思い出があり特別なアーティストがいる。それはジャパニーズスカの代表、KEMURIである。
数年前のライブの時にYが仕事で遅れるというので私はひとりでライブハウスに向かい、自分の分とYの分のグッズを確保し寒い中座りYが公演開始前に来れる事を祈りながら携帯をいじりっていると帽子を目深に被った人がニコニコと笑いながらステッカーを差し出してくれたので、ファンの方が配っているのだろうかとありがとうございます、と言って受け取り顔をよく見て驚いた。それはもう開演間近でこの場にいるのはおかしい、KEMURIのボーカル伊藤ふみおさんだったのだ。あ、と思った時にはもう違う方にステッカーを配っていて周りにいたライブを観に来た方々も気付きはじめていた。パニックになるだろうかと心配したがまったくそうなる気配はなくステッカーを頂いた人を優先にサインが欲しい人、握手したい人、写真を撮りたい人が綺麗に列を作り静かにその列は進んでいった。周りの人々は無理矢理話し掛けたり握手をせがんだりせずすこし囲んで写真を撮っているだけで私がステッカーを持ってぼんやりしていると列に居た方が並ばなくていいの?と聞いてくださったので列に並んだけれど握手をする事もサインをもらうことも一緒に写真を撮る事も緊張のあまりできずライブ楽しみにしています、とだけ小さい声で言うと伊藤さんはありがとう、頑張るよ、と優しく笑ってくださった。満面の笑みの笑い皺がとても素敵だった
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バタースカッチ・ラヴァー

Iと出会った時私達はまだ互いに幼くふたりで遊ぶ事は何も不自然ではなかった。義務教育にあがるより前から当たり前のようにそうしていたのでそれはずっと変わる事がないと思っていた。すぐ近所に住んでいて母親が仕事から帰るのが遅いIの家でさみしさから逃げて笑えるように寄り添うように一緒にいた。いつから不自然になってしまうのだろう、いつから厄介な事になってしまうのだろう、「性別」というものは不便だ。
はじめの変化は私達自身ではなく周囲だったと思う。それも、極近い周囲で今までは笑って私とIが遊ぶのを見ていた人達だ。まだI君のおうちにいるの?もう遅いしそろそろ帰ったらどう?年が離れて産まれたIの妹Mと遊んでいた時、母から電話があった。けれど今までは何も言われた事のない時間だったので、まだMと絵を描いているからと電話を切った。しかししばらくするとIがお袋がお前を遅くまで家にあげとくなって、と言ってきたのでどうしようもなくなり5時に夕焼け小焼けのチャイムが鳴れば帰宅するように母と約束したのだった。次に変化したのは同級生達で、だんだんと男と女で分かれて遊ぶようになり、いつも一緒に遊んでいた私とIにお前ら付き合ってんの?と聞くようになったので学校では一緒にいる事をやめた。それでも帰宅し互いに時間があれば共に遊び流行りの音楽を聴いたりTVを見たりネットをしたり週刊漫画を一緒に読んだり宿題の答えをネットで探して書き写しMと絵を描いたり絵本を読んだりゲームをしたりして時間を過ごし、ただ当たり前に楽しかったし家族のように一緒にいて、それすら許されなくなるなんて思いもしなかった。
I君と仲良いよね、と言って恨めしそうな顔をしていたのはなぜか私の、教科書を持って帰るほど真面目でなかったのでまったく重くなかったカバンを持ちたがり必ず帰りは私についてくるひとつ上級生の男の子で幼馴染だからね、お母さん家にいなくて妹がまだ小さいから、と答えるとそうじゃなくて…となんだか煮えきらなかった。変なのと思っているとその内Iがお前なんで男子にカバン持たせてんだよ、と怒り出してまったく訳が分からずだって持つって言うから、と言うと明日からは俺が持つし、と怒ったまま言われ無言で頷いた。Iがいつの間にか僕ではなく俺と一人称を改めていたのにもその時驚いた。
それからなんだか気まずくて私はIの家に行く事もせずカバンを誰かに持たせる事もなく、男子と話す事をみんながそうしていたから避けそのまま中学は私立に行ったのでIと顔を合わせる事はうんと少なくなった。そんな時に昔はIと遊んでくる、と言うと良い顔をしなかった母に今日I君のお母さん遅いんだって、行ってご飯をね、作ってきてあげてくれる?と言われて驚いたものだった。お金を受け取りIの家に行くと年齢よりもずっと言葉の遅れた見目も幼いMがいてIは私の出現に驚いたようで来るならメールしろよ、と怒られた。ご飯作れって母に言われたの、と言うとピザを取ろうとIは言ったけれど自炊すれば安いじゃない、そしたら余ったお金で漫画が買えるわ、と言うとIは笑った。私達はちょっと悪い事をするのが楽しくて大好きだったのだ。けれど私は内心Iの変化に驚いていた。前に会った時よりうんと背が伸びて私を追い越し、髪が金色になっていて、ピアスもあいていたし指輪やネックレスなんかをして派手なジャージを着ていた。すこし怖いなと思ったけれど中身は変わっていなくて安心した。
ご飯を食べMに絵を描いて見せたり100円ショップで買ってきたマニキュアを塗ったりして遊んでいるとIが進学祝いに買ってもらったというギターを見せてくれた。学校行ってる?と聞くと行ってない、Mも行ってない。お袋あんまり帰って来ないから、Mは給食だけ食べに行って帰ってくる。と聞いてはいけない事を聞いてしまったような答えが返ってきた。それから私は週に数回Iの家に行きご飯を食べMに勉強を教えIに学校に行くよう諭した。そんな事をしばらく続けていたらIはある日、私にキスをした。それは家族や友人のする事ではなくしてはいけない事だと思ったのに母は児童相談所に行く訳にはいかないでしょう、あなたが行ってあげなくちゃ。と昔危惧していたであろう事をあっさり無視して娘をスケープゴートにし、慈善事業を行おうとしたのだった。続きは特にない。そうやってしばらくの時間を過ごしたけれどやがてIの母親はそれを拒絶しIはギターを持って家からいなくなってしまった。メールしても返信はなく、忘れかけていた時にきた返信は年上の女性の部屋に住んでいてバンドをやっている、という近況だった。
いつの間にか私もIも、不便な性別に染まってしまっていた
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甘い蜜と蟻とアリス

洋画や海外ドラマを観ていると日本人の女の子にはあまりないキュートさが幾つも溢れていて心を奪われる。まずひとつは表情筋の違い。ウインク、片眉を吊り上げる、口の端を片方だけあげて皮肉に笑う、鼻を鳴らす、唇をつんと尖らせる、めまぐるしく変わる表情の大きさ。彼女達は幼い頃から鏡の前で笑顔からはじめ喜怒哀楽すべて、どんな顔をすれば一番可愛く見えるか研究をするのだ。若草物語でエイミーが鼻を高くするために洗濯バサミで鼻をとめて眠っていた、そのような健気さ自体がとてもキュートなのだと思う。
次にキュートなのは個性的な服装や部屋、髪型。流行りも大好きだけれど自分の好みは外さない。とにかく細かいところがキュートなのだ。日本人の女の子はブランド品の模倣品、中国やベトナムで作られる大雑把に可愛いけれど細かいところが粗雑な物を流行りの時に安く手に入れワンシーズン着て捨てる。そのいじましさも可愛く思えるけれど母の母の母の母のと何十年も受け継がれるパールのネックレスとピアスを20歳の誕生日に母親から贈られ冠婚葬祭で身に付ける姿はキュートそのものだと思う。
そして仕草がいちいちとてもキュートだ。お姫様もジャンキーの彼氏の膝で寝転ぶ娼婦みたいな女の子も場末のダイナーで働く金髪のウエイトレスもみんな生意気で自由で自信ありげで自分をよく見せる魅力的な仕草を知っている。

日本の可愛い、世界へ発信しているkawaiiと、海外のキュートは違うものなのだなとぼんやり思った
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華麗なる裏社会の蔓

マリファナを買うには蔓が伸びなくちゃあいけない。栽培と一緒なんだ、あれは放っておけばいくらでも生えてくる雑草みたいなものだから水と光さえやってれば育つ。楽だけれど栽培は所持より罪が重い、ハイリスクハイリターンだ。んで、売るのだって罪が重い。栽培と売買と所持が重なれば初犯でも執行猶予も危ないよね。だから売人はバックがいるプロ中のプロじゃない限り売る相手を選ぶの。その代わり一度信頼を得ればタバコ2〜3箱と変わらない値段で売るよ、お友達価格ってやつだね。自分が吸うために栽培して、余りを友達に売る。金はほぼリスク代だ。で、その友達の友達が欲しがればそいつが素人じゃなくてボロを出さないって信用できればリスク代にイロを付けて売る。つまり蔓ってのは腐った友人との繋がりで、その蔓さえ伸ばせればマリファナなんてすぐに手に入るって事だよ、日本でもね。
Rはそう言って煙草を吹かし私に飲めないコーヒーを淹れて渡してくれた。黙って砂糖とミルクを大量に入れ、なんでこういう時はコーヒーなのだろうかと苦味に顔をしかめた。Rは人懐こい笑顔であぁ、飲めないんだったね、と私を笑いすぐに冷蔵庫からコーラを出して渡し、私の甘いコーヒーを取り上げて飲み干す。Rは年に数回マリファナを吸うために合法国に遊びにいくような人で、私はその話を聞くのが好きだった。コーラを開け舐めるように飲むとそれはぬるくて甘くてRらしいなと思った。
お前はいい、馬鹿っぽいのに意外とクレバーだし弱っちいけど絶対に見せちゃいけないところは隠し通す、勘が良いし何より女だからね。女っていうのは色々得だよ、職務質問された事ないだろ?首を横に振ると嘘、何したの、とまた向けられた方が困る位の笑顔を見せる。渋谷のピアスショップから出たら荷物を見られたと話すとあそこは裏で薬売ってるんだよ、買ったの?と煙草を灰皿に押し付けながら聞かれたのでまた首を横に振りピアスを買ったの、でも鞄はいつもごちゃごちゃだからポケットに入れたわと答えるとほら、それ。と笑った。お前のそういうところは天然で純粋に生きてくための強さだから綺麗だしそういうとこ、最高に好きだよ。だからお前には蔓を伸ばしてほしくはない。お前はそういう事をはじめればあっという間にぐんぐん蔓を伸ばし葉を付けまくって大量に花を咲かせてその上で眠るだろう?弱いからだ。Rは笑ったまま俺でもYさんでも駄目だもんな、きっと誰でも駄目だ、だから駄目だ、と指輪のたくさん嵌った私の手指を弄り最後に手の甲にキスをした。そんなRの優しさが辛かった。
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この物語はフィクションです

泣き顔

浦沢直樹先生の描く泣き顔がとても好きだ。いつだったかNHKの番組で「涙を描かずに泣かせる」と言われていてなるほどと思ったが鉄腕アトムのリメイク「PLUTO」での登場人物の泣き顔を見て、表現そのものだ、と驚いたものだった。人の形をしたロボットが泣く時に大きく目を見開きその目にたくさんの涙を溜め、一度きつく目を閉じなにかを我慢しその後目を開きダムが崩壊したように涙をこぼすのだ。
それは号泣という言葉を「号泣」という文字以上に表していて、美しかった。文字でこれを表現しようとしたら?描写しようとしたら?土俵が違うのはわかっている、けれど想像してしまう。考えてしまう。悩んでしまう。
絵を描く事、文字を書く事が出来なくなってしまった手を見てパソコンや携帯がなくなったらどう生きてゆけばよいのだろうかとふと悲しくなった
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(画像はみつかりませんでした…)