Please told me

昇華できなかった戯言

12月

12月になると年末らしい焦りが私を離さない。

この1年で何か成し遂げたのか
病気はすこしでも良くなったのか
せめてあれをすればよかったのではないか

実家にいた頃両親に言われ続けた言葉だ。
その頃私は大学にも行かずデパ地下で販売員をしていて年末年始休みなく働き更には夜の仕事もしていたから何もしていなかったのかと言われるとそうではない。
友人家に半分住み着き食事を作り洗濯をし彼女の玩具であり人形であったのでやる事は多かった。

収入も18の小娘が1日に何十万と動かしていた。水商売というのは恐ろしい。18の小娘だったからなのだろうか、ティアラを付け安っぽいライターとペンと名刺を持ち歩き妙な源氏名で馬鹿みたいに騒ぐだけかと思えば川端康成が好きな男とは静かに文豪の話に耽ったし政治の事を熱く語りお前は馬鹿だから今日本がどうかっているか知らないだろうと言われれば知りませんので選挙権を得るまでに勉強をするので教えてくださいと教えを乞い、そんな風にしていたらいつの間にかそれなりの地位を確立していた。これが25の女だったらそうはいかないだろう。若さは高く切り売りできるのだ。そしてそれをホストか或いは気に入ったまだメジャーデビューしていないバンドのメンバーにばら撒き馬鹿にして見下しヘコヘコと頭を下げなんなら靴の裏を舐める勢いの彼らを見るのを心底楽しんでいた。勿論顔には出さず、笑って応援してるんです、と甘えた声で可愛い事を言っていた。
若さというのは汚点になるか綺麗な思い出になるか極端だなあと思う。
あと思い出深いのはせいぜいメジャーデビューしているバンドのメンバー何人と寝て何人に電話番号を教えてもらえるかを数える事位だった。
本当に好きだったバンドのメンバーとセックスをしたらとても虚しくなってそれからは友人に誘われない限り自分から行動する事はなかった。けれど男というのは不思議でそういう女が好きなのだろう、その頃がモテのピークだった気がする。

今は何もせず毎日眠って起きて薬を飲んで小説と言えるのかわからない文章を書き散らして編集さんにご迷惑を掛けている。
すこし前から敬愛する師匠の旦那様である編集Tさんがご多忙になり立場上私のように中途半端なノベル部門の面倒をみられなくなったので現在はWさんという話が面白くて頭の回転が速くて他人をばっさり切り捨てられる素敵な方が担当をしてくださっていて死にそうだ。
今年中に何か形にしましょうね、と熱く語る年下のWさんの第一印象は私には無縁な人、だったし今もそうだ。
Wさんの中では私の作品を仕上げる、ではなくて私の作品で成功を収める事、までが形であり私の事を気遣うのは素振りしかない。はじめてTさんから任された仕事で失敗したくないのだろうし、今まで甘やかされてきたのだからWさんの対応は妥当なのだろうけれどこの人が苦手だ。
Tさんと共にプロジェクトして書いていたSFには試験的に「医療大麻のあり方と現在使用されている薬品の危険性、尊厳死を選ぶ権利」を盛り込んでいた。
Wさんは引き継ぎ当日にあれはNGです、あんな作品で膨大な敵を作る必要があるのですか、と切り捨てた。Tさんは何も言わなかった。

つまり今、年末になり12月になり何か形にできたのかと問われると何もできていない。筆が進まない。Wさんの駄目出しが怖くて先が見えないのだ。
もう一本の妥協作、ジュブナイルライトノベルの狭間のようなものばかり進んで甘ったるいvapeを吹かしている。

題材は青春と死、年末には今年が死んで年始に来年が生まれる。